無宗教葬って?

無宗教葬とはどんな葬式か


僧侶や神主、神父や牧師など宗教者を介在せず「お別れ会」や「告別式」のみを行うことを別名「無宗教葬(むしゅうきょうそう)」と言います。文字通り既存の宗教がない状態での葬儀であるため、無宗教葬というのですが、全体の1割とか2割くらいが無宗教葬をやります。音楽で見送る音楽葬や、故人の好きだったものをビュッフェ形式で会食しながら弔うなど、形式にこだわらない葬式であるため、別名「自由葬」とも呼ばれています。
遺影はかざり、お花の祭壇を設え、納棺もしますので、見た目はあまり、普通の葬儀と変わりません。

 

無宗教葬の次第

 

無宗教葬の次第は概ねこのようなものです。

 

@開式の辞

 

A黙とう

 

B故人の思い出→メモリアルのDVDを放映

 

C弔辞1 友人代表の挨拶

 

D弔辞2 家族からの言葉

 

E弔電

 

F献奏(けんそう)→好きだった曲を流す

 

G献花

 

Hお別れ→お花入れ

 

I喪主挨拶

 

J閉式の辞

 

Fの献奏ではコーラスが好きだった方の場合はコーラス部の方が歌うこともあります。
形式にこだわらないという点ではまさしく自由であり、宗教者が介在しないという点ではまさしく無宗教です。

 

無宗教葬は宗教葬です


私は以前からこの「無宗教」という言葉にとても大きな違和感を持っていました。無宗教といのは宗教が無いという意味で、無宗教葬は宗教がないため無宗教だ、という方もおられるのですが、私は違うと思っています。
無宗教は宗教が無い。ここまでは正しい。であれば、そもそも葬式は必要ないはずです。
人が亡くなり、生物的に死亡が確認される。無宗教の人であれば宗教がないため、生物としての活動が終わったと考え、すぐに火葬をして終わり、というのが本来ではないでしょうか。葬式などあげる意味など無宗教の観点からみれば意味などないはず。また100歩譲って葬式をしたとしても、祭壇や遺影はなんでしょうか。祭壇などまさしく宗教の象徴であり、遺影も無宗教者からするとただの紙切れです。「遺影は故人の面影です」という言説などは宗教の専売特許ともいえる発想です。無宗教葬であれば納棺は死化粧などせずただ入れるだけでいいし、弔辞や弔電などもってのほか。
献奏などは故人の御霊がよろこぶようにするための「供養」のひとつであるし、献花や供花も御霊が安んずるためのもの。霊という存在を認めていないと、献奏も献花も供花もできるはずがありません。
つまり、無宗教葬とは無宗教と言う名を前面に出した、宗教葬なのです。まったくなにとひと「無」「宗教」ではない。そこかしこに宗教があり、そこかしこに霊の存在と認めている。本当の無宗教葬とは先述した通り、亡くなったらすぐ火葬しておわり、という直葬に近いものになるのだと思います。
「無宗教葬」をするのは自由ですし、いろいろな考えはあってしかるべきです。けれども決してそれは宗教が無い葬式を意味するのではありません。宗教者がいないだけで、霊の存在を認め、御霊を慰撫することで供養になる神道や日本仏教、あるいは先祖崇拝の儒教の思想にきちんと則っており、祭壇を設えることで神の御許に行くキリスト教思想を彷彿させる、幾層にも重ねられた、複合的に調和された宗教葬であることを認識いただきたいと思います。
何度も言いますが、本当の無宗教葬は直葬です。

 

 

お寺葬の意義

私たちは日本でただひとつの、お寺と葬儀社が共にひとりの命を弔う「お寺葬」の専門葬儀社です。
儀式の執行者としての僧侶。
食事などを手配する葬儀社。
このふたつが弔うことを認め合い、新しい価値を生み出すことが私たちの使命です。

 

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文責:足立信行